最終追記:2017年06月15日更新
ずっと憧れていた、内閣総理大臣賞にも輝いた吉田藩の最後の棟梁の最後のお弟子さんでもいらっしゃる今は亡き宮大工、「阿部幸次郎さん」の『阿部工務店』さんへ宮大工の仕事の手伝いに行くことができました!
親父が一級の技能検定を取る時に、阿部幸次郎先生に教えてもらったご縁もあり、ずっと憧れていました。今回は、彫刻士の仲間が紹介してくれ、10日間の約束で働かせてもらいました。
「よろしくお願いします!」と挨拶して
棟梁に「加藤くん!」
と呼ばれながら仕事しました。新米の若い衆のころを思い出しましたねぇ(笑)。
新米の気持ちに戻る新鮮さ
僕がお手伝いさせてもらったのは、とあるお寺の本堂の建て替え工事。
「これがホンモノだ!」と思いましたね。
びっくりするぐらいの仕事ぶりなんですが、それでも「簡略化している」のだそうです。床も、屋根も、住宅と違って高さがありますし、木材も、全体的に太くて長いんですよ。それらが、5mmのズレもなく、
すべてが綺麗に収まっていくのは「圧巻」です!
例えば、通し柱でも、僕らが「女大黒」として使っているの太さ(7寸=21cm)のものを使っていました。幅21cm、高さ12cmの土台の上に柱を立てていき、その60cmぐらい上がったところに、「足固め」を張り、その上に床を張ります。つまり、基礎から1mほど上がったところが床になるのでやっぱり民家と違って、高いですね。それなのに、筋交いも何も無しに建っていくんですよ。きれいに、すぼすぼと柱が入っていくのを見ると
「すごい!」の一言です!
丸桁(がぎょう)という垂木を支える材料は檜で一番大きな中桁など、長さ12mほどもあるんです。太さなんて、末は50cmぐらい、根っこは90cmほど。
「日本に、まだこんな大きな木があったか!」と驚きました!岐阜の奥のほうにある木だそうです。小屋組みを組んだ後、棟のてっぺんに登らせてもらいましたが、25tレッカー車が、ミニカーみたいに見えました。6mの高さの初重張りのところを歩いていけと言われた時には、
さすがに「無理です!」と言ってしまいました。
でも、だんだん慣れてくるもので「加藤くん大丈夫か?」と言われて「はい、がんばってみます」と歩いてみました。
あれだけの大きさのものをどうすれば、きっちり刻めるのかっていうのは僕らプロから見ても、本当に驚くばかりです。あれが「本物を造る人たち」なんでしょうね!野組の方法は、恐らく基本は同じはずです。ただ、「寸法の出し方」については企業秘密なんですよ。社寺建築には、きっと独特の方法があるんだと思います。そこは、教えてもらえませんのでね(笑)。
認めてもらうことが「仕事のやりがい・これからの糧」
阿部工務店さんの現在の棟梁は、細身で小さくて、飛ぶように歩くような身軽な棟梁で、もちろん知識と経験と度胸は、
やっぱりピカイチ!
僕は、10日間の契約で8日ほどしかできなかったのですが、最終日に、棟梁に
「加藤くん! 配付墨木を取り付けておいて」
と、いきなり言われました。
「できるわけないじゃないですか!(^^;)」
と、驚いて答えると
「大丈夫、大丈夫!加藤くんならできる!
グランプリに行ったことある人が、何を言うとる?」
なんて言いながら、本当に任せてくれるんですよ。
時間はかかったとしても、絶対にやりきるだろうと
信じてくれてるんですよね。
最初はなかなか、差し込めなくてよく見るとほず(ほぞ)穴を、わざとに小さく作ってありました。ちゃんとあてがって寸法を取らないとダメなんですね。それを5本すべて、寸法とってつけていたら14時から始めて、夜までかかってしまいました。棟梁には
「ちゃんとできとるじゃん!」
と言われ、その後、社長にも、
「今後も手伝いに来てもらえないか?」
と言ってもらいました。行きたかったものの、僕も本業があるのでお断りしましたが、宮大工さんに認めてもらえるのは、本当に嬉しいことです。
こんなふうに、僕もまだまだ。常に、勉強をしつつ、腕を鍛えています。