最近、長年木に関わる仕事をしている方と話す機会があり、僕の仕事について感想をもらった。僕より年長の方で、お互い木や建築を専門とする者同士の会話。刺激的で勉強になった。と同時に、僕が当然だと思っていたり、言うまでもないと思っていたりしたこと、こだわりとして日々してきたことを「普通、そこまでしないですよ」と言われ、びっくりした。しかし、本当のところ、実はうれしかった。
やっぱり、僕は木が好きだから、大工なんだな、棟梁なんだなと改めて思った。この機会に、自分が大切にしていることを書いてみようと思う。ちょっと自慢をするようで気恥しい気もするのだけれど。
ながら・加藤建築で建てる家に使う木には、自信がある。長年経験を培ってきて、「これだ」と思う木を使っている。どんな木を使っているかというと、こんな風だ。
乾燥に始まり、乾燥に終わる
木は、いかに乾燥させるかが重要だ。木がどれだけ水分を含んでいるかを含水率(がんすいりつ)という。じっくり丁寧に乾燥させて、いかに低い含水率にしておくか。これが、よい家を建てるためには、必要なことなのだ。
木の切り時
木を切るのは、いつでもよいというわけではない。木の切り時は、11月中旬過ぎと言われている。
木には年輪がある。夏目と冬目がある。夏目は、色が白っぽいところ、冬目は赤っぽくて目が詰まっているところ。夏にはたくさん成長するので、広く年輪が進む。しかし、ここは、弱くてカビやすい。一方、冬目は、硬くて壊れにくい。なので、冬目のときに切るとよいのだ。
11月に木を切ると、そのまま山中に倒したまま、3か月、1月か2月まで葉っぱもとらずに置いておく。根元は切られていて、地面から水分は上がってこない。葉っぱからは木の内部に蓄えられた水分が蒸発していく。こうすることで、木から水分が減り、乾燥が進むのだ。よい木とは、いかに乾燥させたか、だ。
木を手に入れる(木の仕入れ)
木を手に入れるには、丸太の状態で購入し、製材所で製材してもらい、自社で保管、乾燥させる方法がある。丸太の状態で購入するとき、その木が、本当によい木であるかを見極めるのは難しい。どのような材木が取れるのか、よい材木になるのか、目利きが必要になる。ながら・加藤建築では、丸太の状態で購入するものもある。棟梁の長年の経験から、「この木はいける」と判断して購入する。製材後、じっくりと自社で寝かせて乾燥させる。こうやって手に入れた木は、製材が済んだ状態で販売される材木よりも、割安に購入できる。施主様に、少しでもリーズナブルに天然の木の家のよさを味わってほしいから、棟梁は日々、目利きの力を養って、丸太を買い取っている。
また、材木は、製材市場で買うこともできる。材木の卸売りだ。ここでは製材され、乾燥させた状態の材木がシュリンクパックされたりして売られている。僕は、じっくりと乾燥させた低温乾燥のものを選んで購入し、自社で梱包を解き、あらためてじっくりと自然乾燥を進める。製材市場で手に入れる材木は、実は割高ではあるが、絶対に失敗がゆるされない大黒柱などにする材木は、製材市場で手に入れることが多い。一家の中心となる大黒柱。絶対によい材木を使いたいからだ。
乾燥
さまざまな手段で手に入れた材木は、自社内でじっくり自然乾燥させる。
大黒柱のような木で、だいたい5年から10年。その他の構造材で3年から8年、じっくり、じっくり乾燥させる。
材木は、ただ積んでおいて乾燥させればよいというものでもない。じっくり、均等に乾燥させる必要がある。丸太から切り出した材木は、乾燥のために積み上げるとき、材木と材木の間に、「桟」と呼ばれる小さな長い材木をはさむ。この桟が空間を作り、材木の間に空気が循環し、乾燥が進むのだ。この桟は、均等に並べておくのがよい。「だいたいこのくらいかな」と適当に並べてしまっては、均等に空気が循環せず、しっかりと乾燥しない。横から見ると、きちっと桟が一列に並ぶよう積み上げなければいけない。これは、見た目がきれいだからではない。乾燥の質が全然違うんだ。たかが「桟の間隔」と思われるかもしれないが、こういったところが、最後の家の出来に響いてくる。
こうした材木の並べ方ひとつで、家の完成に差が出るので、僕は、今の材木の並べ方で満足しているわけではない。実は、今も実験中のものもある。たとえば、材木は長方形のものを使うが、置き方は、縦置きするのか、横置きするのが、どちらがよいのか。横置きにするのがいいだろうとは思っていた。しかし、本当のところはわからないところがあったので、縦置きと横置きの両方をやってみた。実際にやってみると、思った通り、横置きのほうがいい材木に仕上がった。縦置きにすると、ひねりや捻じれ、ひずみが生じやすいことがわかった。横置きにすると、上からじっくり荷重がかかってひずみを正し、安定的になり、ゆっくりと乾燥するのだ。
常に慢心しないで、よりよい乾燥ができるよう、精進していきたいと思った出来事だ。
木は我が子みたいなもの
木は長い間手元に置いて、乾燥させる。十分乾燥して、ベストな状態のものを建築に使う。10年近く手元に置いたものを家を建てるために使うときには、子どもを手放すような気持になる。よく「嫁入り」とか「お嫁に行く」といったりするのだが、本当にそんな気持ちになる。
仕入れた木の中には、乾燥しているうちに曲がってしまうものもある。でも、十分に乾燥してあると、それ以上曲がることも、あまりない。性格を十分知ったうえで使うことができる。たとえば、大きく曲ってしまった木でも、6mの長さのままでは使えないけれど、3mに切ったら使える。大黒柱に使えない木でも、別の場所では大活躍するものもある。使いみちを探してあげるのが、棟梁の仕事だ。
結局は、どんな木であっても、なんらかの使い道はある。何とでもなるんだ。つくづく思うのだが、木は人みたいだ。子どもみたいだ。やっぱり、僕は木が好きだ。